すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第2集) -030/203page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

「おっ母(か)さん、あれが富士山(ふじさん)ですよ。」

「おっ母さん、おさしみです。おいしいですよ。」

と、車中でも、宿屋でもつきっきりの世話をし、孝養(こうよう)をつくしました。

しかし、日本にいたのは、たったニヵ月でアメリカに帰らねばなりませんでした。研究所へもどった英世は、再(ふたた)び病原菌(びょうげんきん)の研究に打ちこんでいきました。

ある日、フレキスナー所長が、野ロの研究室に来て、

「野口君、実はアメリカの政府から、きみに南米(なんべい)エクアドルへでかけてもらいたいと頼みにきたのだが、どうだろうか。」

「黄熱病(おうねつびょう)の研究ですか。」

そのころ、非常な勢いで、南米エクアドルを中心に流行していた伝染病、「黄熟病」に関心を持っていた英世は、すぐに答えました。

「よろしい。行くことにしましょう。」


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は会津若松市教育委員会に帰属します。
会津若松市教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。