すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第2集) -048/203page

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した。吉十郎の頭の中に、幕内(まくのうち)の村のすがたが、大きくひろがって、たいへんだなあ、と思いました。しかし、心の中は燃えてくるようでした。

何年かが過ぎました。吉十郎は、名を与次右衛門(よじえもん)とあらためました。

佐瀬家(さぜけ)には、五町歩(ちょうぶ)(五ヘクタール)もある広い土地があり、十三人の家族のほかに、何人かの作男(さくおとこ)もいました。村一番の広い田畑をたがやすために、与次右衛門は、いつも皆の先頭になって働きました。

肝煎の仕事にも、だんだん慣(な)れてきました。しかし、いつも頭を痛めるのは水です。大雨が続くと、洪水が心配でした。村の人といっしょに、堤防を作るのですが、大水はこれを簡単にこわしてしまいます。

雨がやみ、水がひくと、広い石の川原(かわら)があらわれ、水は川床(かわどこ)の片すみを流れるだけになってしまいます。こんどは、水が足りなくなります。川のそばの村


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