すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第2集) -049/203page

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でありながら、田に水をひくのには不便(ふべん)な土地でした。

田に水をひくためには、水をためるための堰(せき)や、長い用水路をつくらなければなりません。一つの村だけでは、どうすることもできないこともあったのです。

与次右衛門は、三十二歳になったとき、正式に肝煎(きもいり)になりました。

このころ、会津藩としても、大がかりな堤防工事(ていぼうこうじ)をはじめることになりました。藩の工事といっても、村の人たちが工事にあたるのです。与次右衛門も、肝煎として、

堤防工事をしている村人


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