すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第2集) -051/203page

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水の心配は、ようやくなくなりました。与次右衛門は四十六歳になっていました。

与次右衛門の実験

水との戦いに毎日を送っているうちでも、与次右衛門や村の人にとって、さらにたいへんなこは、年貢米(ねんぐまい)を納めることでした。

百姓は、自分の食べる米がなくても、年貢米だけは納めなければならなかったのです。そのために、土地を質(しち)に入れたり、村を逃げ出したりする農民がいました。幕内(まくのうち)でも、年貢を納められない家がありました。

幕府や藩では、できるだけたくさんの年貢米を納めさせようとしました。そのために、農民の生活のきまりを作り、村ごとに立札(たてふだ)を立てて、農民の生活を


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