すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第2集) -054/203page

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ある自分のつとめなのです。)

こうした長い間の与次右衛門の努力は、だんだん実(みの)ってきました。与次右衛門の教えを守る農民はだんだんふえて、年貢を納められない家は、少なくなってきました。村の中には、道路にそって用水路が走り、きれいな水が勢いよく流れていきます。幕内(まくのうち)の野菜(やさい)は、若松の町で、たくさん売れるようになり、村はだんだん豊かになってきました。

天和(てんな)元年(1681年)の秋、与次右衛門(よじえもん)は、役所に来るように、という藩の命令をうけました。何事かと思い、羽織(はおり)はかまに身をかためて、役所に行くと、たくさんの武士たちの並ぶところに通されて、

「精農(せいのう)であるから、賞をさずける。」

という表彰状(ひょうしょうじょう)をもらいました。

精農というのは、農業をくふうして熱心な農民であるということです。これ


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