すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第2集) -055/203page
までの与次右衛門の努力が認められたのです。与次右衛門は五十二歳でした。 与次右衛門は、どこへ行くにも、墨(すみ)つぼに筆を入れた矢立(やた)てという筆記道具と、帳面とをふところに入れていました。いつでも書くことができるように、準備していたのです。 いつも、与次右衛門は、田や畑(はたけ)を調べては、その結果を記録していました。田にはいろいろな品種の苗(なえ)をうえて、その育ちぐあいを、こまかにしらべながら、記録しま
までの与次右衛門の努力が認められたのです。与次右衛門は五十二歳でした。
与次右衛門は、どこへ行くにも、墨(すみ)つぼに筆を入れた矢立(やた)てという筆記道具と、帳面とをふところに入れていました。いつでも書くことができるように、準備していたのです。
いつも、与次右衛門は、田や畑(はたけ)を調べては、その結果を記録していました。田にはいろいろな品種の苗(なえ)をうえて、その育ちぐあいを、こまかにしらべながら、記録しま