すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第2集) -066/203page
「ほう、できましたか。」
和尚さんは、与次右衛門のはればれとした顔を見るなり、いっしょになって顔をほころばせました。
「やっと、重荷(おもに)をおろした気待ちです。」
与次右衛門と和尚さんは、お寺のえんがわにならんで、苦労ばなしを語りあいました。二人の前には、冬枯(ふゆが)れの幕内(まくのうち)の畑がひろがっていました。
元禄(げんろく)二年(1689年)七月六日、会津藩は、『会津農書』を書いた与次右衛門をほめたたえて、表彰状とごほうびの米三俵(びょう)をあたえました。
幕内の人々は、それを自分のことのように、よろこびあいました。
「与次右衛門さんは、たいしたものだ。殿様から二度も賞をもらった。」
「百姓のことは、何を聞いても、わからないことはないものな。」
「百姓のことだけではないぞ、何でも知らないことはない。生(い)き字引(じび)きだ。