すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第2集) -086/203page

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だから、城内に水をひくことは、高いところに水をひかなければならないわけです。

豊助はこまってしまいました。高いところにもひける豊かな水はないか、……東山(ひがしやま)から飯盛山(いいもりやま)を歩きまわっているとき、ふと気がついたのは、猪苗代湖(いなわしろこ)から水をひいてくる戸(と)の口(くち)の用水路でした。

「そうだ、猪苗代湖の水があった。」

豊助は用水路をたどって、飯盛山から滝沢(たきざわ)へ、峠(とうげ)をぐるりとまわって八田野(はったの)、さらに複雑(ふくざつ)な地形を通って猪苗代湖へ出ました。

「よくもこんなところを切り開いたものだな。この水をもっと流せないか。」

昔の人の努力に感心するとともに、昔の人にできたことが、自分にできないはずがない、という自信もわいてきました。

若松と猪苗代湖の間を、何回も馬で駆(か)けめぐるうちに、豊助は、八田野の肝(きも)


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