すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第2集) -089/203page

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堀りぬくこと。第三に、慶山(けいざん)から『かりがね堰(ぜき)』と合わせて城下に流すこと。この三つの工事によって、城下の水はふえおほりの水もふやすことができるだろうと考えました。

『戸の口用水路修理計画書』をまとめた豊助は、さっそく西郷頼母(さいごうたのも)のやしきをたずねました。待ちに待っていた頼母に計画書を見せ、豊助は熱心に説明し、最後に、飯盛山に洞門を掘ることのむずかしさをのべました。

飯盛山の洞門については、数日後によび出された、家老三人をまじえての説明のときにも問題になりました。

若松の城下に水をひくため奮闘する豊助


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