すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第2集) -094/203page

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宗吉(そうきち)と古川伊喜右衛門(いきえもん)が戸の口用水路を見つめていたのです。そのわきに小屋が建(た)てられ、「会津藩御用(あいづはんごよう)」の旗(はた)が湖水を渡る風になびいていました。

「いよいよですね。」

「うん、いよいよだ。二人にも苦労をかけるが、よろしく頼む。」

「はい、これだけは何としてもやりとげます。先祖(せんぞ)の切り開いた水路ですから、私たちがやらなければ、ご先祖さまに申しわけありません。」

三人の顔はひきしまり、固い決意がうかがわれます。

猪苗代湖から若松まで続く用水路の幅(はば)を、今までの二倍の三・六メートルに広げ、深さも六十センチほど掘り下げようというのです。二百十日に水のせき止めを始めたのですが、付近(ふきん)の農民を人夫(にんぷ)にするために、本格的な工事は稲(いね)のとり入れが終ってから始められました。

戸(と)の口(くち)から大野(おおの)が原(はら)を横切るあたりまでは、工事は順調(じゅんちょう)に進みました。とこ


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