すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第2集) -103/203page

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り抜(ぬ)くかということです。豊助にとってはじめての経験です。

 豊助は手に入るかぎりの本を読み、いろいろな人の話も聞きました。洞門の出口と入口の地形や地質も調べ、地図は何枚も書きました。今までにないくらい、しんちょうに測量(そくりょう)をしました。両方から掘っていって途中であわなかったら大変です。洞門の大きさや傾斜(けいしゃ)――何しろ表面から見えない地面の下のことですから、計算もていねいに何回もしました。

 ある日、穴を掘る道具のことで相談をしての帰り道、ー之丁(いちのちょう)の西郷頼母(さいごう たのも)のやしきにさしかかったとき、頼母の家に使われている久作(きゅうさく)という男が、石(いし)が森(もり)の出身であることを思い出しました。石が森というのは、昔から藩の金山(きんざん)としてたくさんの金(きん)を掘り出していたところなのです。豊助は久作をたずねてみました。

 「久作さんは石が森の出身だというが、もしかして金山の仕事をしていたの


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