すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第2集) -121/203page

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 明治21年(1888年) に、栄富尋常(えいとみじんじょう)小学校をすぐれた成績で卒業すると、伊策(いさく)は、もっと勉強を続けたいと考え、小学校の太田先生に相談をもちかけました。

 「それでは、夜でもよかったら、私の家に来なさい。」

といわれて、伊策は、昼間(ひるま)は山や、畑(はたけ)の仕事をしながら、夜になると、夜学(やがく)に通うようになりました。

 安張(やすはり)から倉谷(くらだに)まで、毎晩通(かよ)って勉強を続けることはたいへんでした。小学校に通っている時は、友だちといっしょの昼間のことでしたが、夜学になると、たった1人で暗い山道を通わなければなりませんでした。昼間の仕事の疲(つか)れで休みたくなったこともありました。

 帰り道は、またたいへんでした。倉谷から水抜(みずぬき)までは、道路ぞいに何げんかの家のあかりもありますが、水抜から安張までの約2キロの山道は、家のあか


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