すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第2集) -129/203page
「7、8の段は泣きの段といって、泣かなくては覚えられないのだ。」
と、兄は伊策をはげまします。わきで、針仕事(はりしごと)をしている母が、
「どうせ教えるなら、泣かせないで教えてやれ。」
というのですが、兄の耳にはとどきません。このやり方は「割り算九九」さえ覚えてしまえば、あとは自然と正しい答がでるようになっています。伊策も、泣きながらやっているうちに、だんだんと答があたるようになってきました。答があたるようになると、伊策は、そろばんが好きになっていきました。
明治24年(1891年)、16歳になった伊策は、太田先生にかわって夜学(やがく)で勉強を教えてもらっていた川島甚平(かわしま じんぺい)先生のすすめで、母校の栄富(えいとみ)小学校の先生になりました。先生といっても、その資格がなかったので、先生の助手(じょしゅ)のような仕事でした。この川島先生は、会津の戦争の前におこった京都の戦いで