すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第2集) -133/203page
ころにある小さな分校でした。伊策の家のある安張(やすはり)から約15キロ離れたところなので、家から通うことはできません。
安張から、役場がおかれていた成岡(なりおか)を過ぎると、田島から若松へ通じる道路に出ます。そこから、遠く那須(なす)の山をのぞみながら山道をのぼっていくと、那須山から流れる観音(かんのん)川の谷にそって、わずか20けんばかりの家がならんでいる部落がありました。そこが南倉沢でした。
人々は、すなおでかざり気がなく、とても親切でした。若い伊策のことを、「先生きま」とよび、伊策の借(か)りた家の家賃(やちん)をはらってくれたり、家々から、伊策の使うまきも運んでくれたりしました。それに、伊策の読みたいと思う本まで、人々が買ってきてくれるほど、若い先生をだいじにしてくれました。
そうした人々の心づかいにこたえて、伊策は、いっしょうけんめい、子どもたちに教えました。子どもたちも、熱心に勉強しました。