すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第2集) -136/203page
た後、小林(こばやし)、桧沢(ひさわ)の小学校でも校長先生をつとめました。大正15年(1926年)伊策は、長江二川(ながえふたかわ)(現在の江川(えがわ))小学校の校長先生を最後に、退職することになりました。
思えば、長かった30年間でした。いろいろなことがありました。安張(やすはり)の大竹家を出て、豊成(とよなり)の星家(ほしけ)の養子となって、星伊策と名のるようになったのは、24歳のときのことでした。40歳をむかえた大正4年には、教育のためにつくした人として福島県から表彰(ひょうしょう)されたこともありました。しかし、その30年間、いつも伊策の頭から離れなかったのは、子どもたちへの教育のしかた、特に珠算の教え方のくふうでした。
あちらこちらで開かれる先生方の集りのたびに、伊策は、珠算の教え方についての自分の考え方を発表しました。しかし、先生方は、あまり熱心に聞いてくれませんでした。