すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第2集) -160/203page

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育っていたのが、会津藩の武士、志田貞二郎(しだ ていじろう)の三男の四郎でした。慶応2年(1866年)生まれですから、戊辰戦争(ぼしんせんそう)のころは、まだ幼児でした。四郎一家が津川(つがわ)の町に住むようになったのは、四郎が4、5歳のころからといわれています。

 津川の町は、現在は新潟(にいがた)県になっていますが、明治の初めまでは、会津の西部を守る重要な町でした。

 会津の、広い平地をうるおしている阿賀野川(あがのがわ)と、遠く御神楽岳(みかぐらだけ)から流れてくる常渡川(とこなみがわ)は、津川のあたりで1つになって、日本海(にほんかい)にむかう大河となります。昔は海上交通がさかんでしたので、会津にもたらされる各地の産物(さんぶつ)は、日本海を渡って、新潟県からこの津川の港に運ばれてきました。

 阿賀野川と常波川とがいっしょになるあたりには、いつもたくさんの舟がつながれていて、その近くには、舟を修理したり、つくったりする舟大エ(ふなだいく)もいま


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