すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第2集) -165/203page

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てからは、柔術(じゅうじゅつ)の練習にも、あまり熱がはいらなくなっていきました。

 ある日、井上道場に1人の青年がたずねてきました。それは、前に、この道場の弟子であった嘉納治五郎(かのう じごろう)でした。嘉納は、道場でけいこをしている四郎をみて、四郎のすぐれた素質(そしつ)を見ぬき、自分のところに来ないかとさそいました。

 少年の夢が破れて、がっかりと悲しんでいた四郎に、新しい道をきりひらいてくれたのは、この嘉納治五郎でした。

 東京帝国(ていこく)大学(今の東京大学)を卒業して、学習院(がくしゅういん)の先生をしていた嘉納治五郎は、新しい時代を生きていく若者を育てていこうと考えていました。

 鎖国(さこく)をやめて外国とつきあうようになった日本に、ヨーロッパなどから、新しい文化や考え方などが、つぎつぎと入ってきていました。東京では、着物をやめて洋服を着る人、ぞうりやげたをぬいで靴(くつ)をはく人などが出てきました。馬車や人力車が町を走るようになり、あちこちの町の間をむすぶ鉄道もつくら


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