すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第2集) -167/203page

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と考えていました。日本人の心とからだをきたえるために、嘉納(かのう)は、昔から日本に伝えられてきた『やわら』――柔術をとりあげようと考えました。

 四郎がはじめ住み込んでいた井上道場のように、弟子をとって道場を開いている柔術家たちもいました。しかし、この平和な時代に、武術を習おうという弟子は少なかったので、柔術家たちは貧しい暮らしをしていました。

 中には、暮らしにこまったあげく、広場などに人を集めて、自分の武術を売り物にして、お金をとったりする人もいました。自分の強いところを見せるために、やたらに人とけんかをして、町の人々から、つまはじきされるような柔術家もいました。

 嘉納は、こんな柔術家たちの生き方に反対でした。しっかりとした日本人の心とからだをつくって、新しい時代に生きる人間を育てるための『やわら』を嘉納は柔道とよび、自分の下宿していた上野のお寺に、講道館(こうどうかん)という道場を開


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