すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第2集) -172/203page

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 のりこえることが大切なのだ。」

 四郎は、おじいさんのするどい目を思い出しました。遠い故郷の、津川の家で、背すじをのばしてみつめられたおじいさんの目を思い出しました。おじいさんは、会津の武士として、自分にかつためにつとめてきたから、あんなにしっかりしているんだなあ、と思いました。

 明治17年(1884年)19歳になった四郎は、会津藩のもと家老であった西郷頼母(さいごう たのも)(このころは保科(ほしな)を名のっていた)の養子になり、その名を保科四郎とあらためました。

 さらに、23歳になった明治21年(1888年)には、会津の古い名家(めいか)である西郷の名をおこして、西郷四郎と名のるようになりました。

 こうした間にも、四郎の柔道はどんどん上達していきました。入門して1年後には、先ばいの富田常次郎(とみた つねじろう)(講道館の最初の入門者)といっしょに、講道館


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