すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第2集) -174/203page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

山嵐(やまあらし)

 嘉納治五郎(かのうじごろう)の講道館柔道が有名になるにつれて、町の柔道家の中には、その評判(ひょうばん)をねたむ人が出てきました。講道館の門人が、町の柔道家たちにおそわれてけがをさせられたりすることもありました。

 「講道館の柔道なんて、お坊ちゃんのおけいこごとさ。口先ばかりの理屈(りくつ)で相手をたおせるものか。文句があるなら、おれたちと勝負しろ。」

と講道館にけんかを売ってくる人もでてきました。町の人々の中にも、柔術と柔道のどちらが強いのか、という話がだんだん広がっていきました。

 明治19年(1886年)警視庁(けいしちょう)で武術大会が開かれることになりました。そして、その席上、柔術と柔道の決戦が行われることになり、それぞれから代


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は会津若松市教育委員会に帰属します。
会津若松市教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。