すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第2集) -186/203page
た。大陸にでも行って、国のためになる仕事をしたかった。」
その後の西郷四郎の生活は長崎(ながさき)にうつり、長崎は、四郎にとって第二のふるさとになりました。
四郎が長崎にうつる少し前の長崎県知事は、会津出身の日下義雄(くさかよしお)であり、初代(しょだい)の長崎市長、北原雅長(たはらまさなが)も会津出身でしたが、長崎時代の四郎に大きな影響(えいきょう)をあたえたのは、二本松(にほんまつ)出身の鈴木天眼(てんがん)でした。
天眼が社長をしていた東洋日(とうようひ)の出(で)新聞社では、四郎は、その片腕(かたうで)として編集長をつとめたこともありました。
天眼といっしょに、各方面によびかけてつくった長崎遊泳協会(ゆうえいきょうかい)では、四郎は監督(かんとく)という大切な仕事をしていました。
長崎遊泳協会の水泳は、昔の武士たちが伝えた武道の中の泳法(えいほう)を教えていました。講道館の柔道が、昔の武道としての 『やわら』 を基(もと)にして始められたの