北会津村の文化財第23集 -021/027page
我が村の変遷 遠藤 武一
年号 事 項 明治 元年 若松城落城により、会津戦争終わる。 3年 平民に姓を許される。 4年 廃帝置県令により、若松県出来る。 戸長制度しかれる。 5年 下小松常徳寺に小学校創設される。 6年 下荒井蓮華寺に開明小学校創設され。 同年下荒井小学校と改称された。 8年 大字制度布かれる、二方甲、乙等の字が出来る。 9年 若松県廃され、福島県となる。 12年 郡制布告で北会津郡できる(館ノ内・川南・荒井・神指・永和・町北・一箕・東山・大戸・門田・高野・湊)の十二ヶ村で北会津郡となる。 15年 下荒井小学校を三ッ分けて、二方小学校と中石小学校が設けられ一二三年生の下等生を教育された。 これは、生徒数の急増によってと言われておりました。場所は、二方小学校は、基盤整備前今和泉・鷺林間の中間に恩賜郷倉が建ってあった地所で在ったと、古い人は、話されていた。 17年 連華寺焼失のため同村菊地某の宅を仮校舎とした。 20年 下荒井小学校新築落成。 21年 市町村制実施により、館ノ内村・川南村・荒井村各々できる。 此の年磐梯山水蒸気大爆発山容改まる。 26年 川南尋常小学校並びに荒井村館の内村組合で荒井館ノ内村尋常小学校となる。 34年 高田橋架かる。 35年 実業補習学校令布かれる。 37,8年 日露戦争。 41年 川南小学校全面新築する。
小学校令改正され尋常科六年、高等科二年制となる。同年耕地整理法により、二方地区耕地整理行われ会津で二番目に一反区画の田畑が出来た。(一番早い所は、高田町西裏地区と聞く。) 43年 川南村に実業補習学校できる。 大正 3年 蟹川橋架かる。 15年 会津線本郷駅まで開通する。 昭和 3年 蟹川橋架替られる。 6年 高田橋永久橋架かる。 16年 小学校 国民学校と改称される。 22年 荒館中学校、川南中学校創設される。