北会津村の文化財第27集 -008/039page
陸奥国飯豊山社領於河沼郡
京手村之内
高五捨石事
右毎々之通寄付之 任延亨
四年十一月十一日先判之旨可寺納之
者也仍如件
会津中将
明和四年十一月十五日 印別当下荒井村
蓮花寺7 下荒井村に「五重の塔」
五重の塔というのは五層に造られた塔のことで、貞享二年(1685) の書き上げ帳によれば、
「昔、塔有、建立破壊の年暦不知、今、石場斗(ばかり)有」
とある。また新編会津風土記には「五重塔跡村北二十間ニアリ旧事雑考 ニ或説ヲ引テ応安元年二供養セシト云今本郡南青木組北青木村恵倫寺二 此村康寧山宝寿禅寺ノ鐘アリ康安二年壬寅仲呂日卜彫付アリ蓮華寺未ダ 創建セザル以前既二寺アリシト見エ然レドモ来由詳ナラズ慶長十六年ノ 地震二崩レシト云今田圃トナリ其字ヲ塔内(たうのうち)卜稱ウ」と記してあるところからも、五重の塔が実在したことは事実である。8 宮ノ下八幡宮の修理棟札
宮の下村は、天文の頃まで下荒田村といい、古くから八幡神社があっ た。鎮座の年月明らかでないが、応永十年(1403) に八幡宮を修理 したという棟札が現在残されている。この棟札の裏には「会津西十二村 内下荒田百姓同心造之」とある。これについで天文二十四年(1555) の棟札の表には「富田美作守藤原滋実花押」とある。この人は当時、下 荒井城主で葦名四天王と呼ばれた葦名家重臣の一人である。昭和五十五 年に村の文化財に指定された。