北会津村の文化財第27集 -009/039page
9 応永の大洪水
応永二十六年(1419)七月二十八日鶴沼川(大川)が本郷の岩崎 向羽黒下より決潰し、本郷の西北・上荒井を経て下野に至り、西北に転 じ大島・安田の間に至り宮川と合流した大洪水である。その後、この川 を境にして南は大沼郡、北は会津郡となった。左図は寛文十二年の会津 旧事雑考による鶴沼川会津大沼郡界図である。10 連歌師葦名兼載の掛軸が社宝として保存
葦名兼載は1500年前後に活躍し、永正二年(1505) に葦名祈祷百韻(百句からなる連歌) を読んだ有名な連歌師である。猪苗代式部 少輔平盛美の子として猪苗代湖畔に生まれる。三十六才の時連歌をもっ て法橋に任じられた。三十八才の正月、北野連歌会所奉行として花下(はなのもと)宗匠となり、宗祇を助け「新撰芭玖波(つくば)集」を完成し、連歌史上不滅の金字塔を残した。
左記の歌詩は、宮ノ下村八幡神社に所蔵されている葦名兼載の掛軸の 歌詩である。昭和五十五年四月一日に村の文化財に指定されている。「老ひぬれば松はみどりぞまさりける
わが黒髪の雪の白さよ」11 白鬚の水
天文五年(1536) 六月二十八日の鶴沼川の大洪水のことで、鶴沼 川(大川)が本郷の岩崎より北に決潰し、蟹川・佐野へ直流、民家を多 く漂流して日橋川と合流した。この洪水の折り白鬚の老人が漂流する民 家の屋棟に座したまま、流れ去ったという伝承により、俗にこの大洪水 を白鬚の水といっている。
今の大川(阿賀川) は、応永二十六年(1419) の大洪水のときか