北会津村の文化財第27集 -011/039page
恐れながら御請
一思掘堰の義天文年白鬚水にて河の模様大いに変り侯節私
先祖にて養水の見立申し上げ弘治年中普請柏始まり其
後只今の通り成就仕り侯は天正年中と申し伝え候処右記
録は五年以前隣火にて出火の砌り何れに紛れ侯や数々相尋ね
侯得共相見え申さず侯之に依って心覚えを以て申し上げ侯に付年号の
此の義は確と申し上げ兼ね侯間猶御筋御吟味成し下されたく存じ奉り侯
以上
酉
四月思堀堰戈判定役
小森愛之助 印この堰は岩崎堰であるが、別名思鑿堀ともいい、大川の水 を岩崎の麓から下小松(小松) を通り、中荒井・川崎・中里・ 真渡を経て上海津に至り鶴沼川に注ぐ、長さ7977 間で、橋瓜組・中荒井組・坂下組・牛沢組の四組28か村 の田圃479町歩余に注ぐ非常に長大な堰である。下図 の太線は思鑿(い)堀を示す。
その後、昭和38年以来の圃場整備事業により、現在の 堰は幹線水路が六本となり、そこから細かく分水される近代 的なしくみに変わっている。