北会津村の文化財第27集 -022/039page

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 この文書は御用人所より の鷹狩りのお觸れで、御座 所で休憩され、御弁当を召 し上がられるから前例同様 の要領でよろしく取り計ら うようにと命じたもので、 御座所には下図のように藩 主専用の御座の間もあり、 お鷹狩りの際に休息や食事 用として使用したものであ る。

お鷹狩りに使用した中荒井村にある御座所
お鷹狩りに使用した中荒井村にある御座所

8 俗称「角場(かどば)」 における武術修練

 中荒井村の諏訪神社が、現在地に遷宮される以前の神社境内に、江戸 時代には俗称「角場」と呼ばれた武術修練所があった。そこは弓道・馬 術・鎗・刀や拳法など武術を訓練する道場で、中荒井村だけでなく、中 荒井組はもとより会津四部の地方御家人はじめ、会津藩の郷士やその子 弟が訓練した道場であった。その証拠には、中荒井村の中央にある時計 台と湯殿山供養碑の間の記念碑の碑文に、その内容が詳細に述べてある。 次はその碑文と戊辰戦争の戦死者名である。

記念碑
記念碑(時計台の左)

記 念 碑
   従三位子爵松平容大公篆額
我邦以武建國基而文武者両輪不一自離也而
居治不忘乱者武術也往古諏訪神社境内有炮
技術場俗称角場又稲沢氏第訓弓馬鎗刀拳法
業旧会津郷士四郡各在焉而其講武也各部各
自撰便宜地置道場以訓練郷士子第會津大沼
二郡其一部也同志五十有三名聯合焉春秋二
季郡宰臨馬試其優劣而賞之専養報國儘忠之
元素慶應戊辰役為藩公守孤城殉難士二千有
余人當部本田君及外十一名亦在此中今茲廿
三回辰同僚相謀建記念碑永岳不朽
 明治廿有三年四月権大教正坂内須賀美撰
             歌川薫喬書

殉 難 士 名
本田勇
星柏右衛門
堀田繁治
皆川定助
佐藤兵太
林 忠吾
福田武八
若林與祖次郎
須藤紋之助
代田力之進
斎藤信八
渋谷力次


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