北会津村の文化財第27集 -028/039page

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くたちの先生としてやってきました。 そして、あの彼岸獅子が、今も受け つがれている理由を知ることができ ました。
 昔、ぼしん戦争という戦いを会津 がしていた頃、鶴ヶ城のお殿様に使 いが来たのですが城のまわりは敵だ らけでした。それで、どうにかして 城に入りたかった使いは、ぼくたち の村に獅子おどりがあることを思い つき、獅子おどりをしながら、城に いっしょに入ってほしいと頼んだの だそうです。敵がそのおどりを見て あっけにとられている様子が目にうかび、おかしくなりました。小松の 彼岸獅子が今でも受けつがれている理由は、こういうところにあったの だと思います。ますます、ぼくも三人の中の一人としておどってみたく なりました。でも、おどりの練習はかん単ではありませんでした。まず、 両手にわりばしを持ち、動きを覚えるところから始まりました。太鼓を 打つような手の動き、足の上げ下げ、それに頭の動き、その上それをや りながら場所の移動もしなければなりません。だから、おもしろいなん ていっていられないことが分かりました。一緒に始めた健君は、なんだ かどんどん上手になる様な気がして、少し不安になりました。
一学期の終わりにクラブの手紙がわたされました。何と、夏休み中も 練習があるという知らせでした。でも、10月にある川小まつりでおどる ためにしかたがないのかもしれません。その夏休み中に、ぼくは大失敗 をしてしまったのです。
 その日も、練習があるというので学校に行きました。練習場所に行こ うとすると、兼子先生に呼びとめられました。
「何だ、練習は終わったぞ。」
ぼくは、練習時間を午後とまちがえていたのです。その日はしかたなく 帰りましたが、次の練習のときに、すごく後かいすることになりました。 ばくが休んだ日に「おかざき」 のところをやったらしいのですが、ぼく は全くできませんでした。前回のときに、他の人はマスターしていたの です。獅子がしらは三つしかありません。三人で組んでおどるのが、獅 子おどりです。ぼくはこの中に入れるだろうかと、不安は増してきまし た。
 どんどん発表が近づいてきました。ぼくは、一つの決心をしました。 どうしても舞台でおどってみたいと思ったので、昔おどったことのある 祖父に個人練習を頼むことにしたのです。祖父には、
「足の使い方がだめだ。」
「手のさばきはすばやく。」
「昔はできないところがあると、ム チでひっぱたかれたんだ。」
などときびしいことも言われました が、最後まで、ぼくの練習につき合っ てくれました。つらい練習をがまん してやれたのは、あの獅子がしらを かぶりたいという願いの方が大きかっ たからです。
 祖父との練習の成果が実ってか、 ぼくは雄獅子、雌獅子、太夫獅子の 中の雌獅子に選ばれました。あこが れの獅子がしらをつけ、との様から いただいたというもんが入っている

川南小子ども獅子1

川南小子ども獅子2


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