北会津の昔ばなしと伝説 -017/238page

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 いつのことだか、ある年、大洪水(だいこうずい)があってな、濁流(だくりゅう)が山のように押し寄せ、あっという間に、梨畑(なしばたけ)も家も土蔵(どぞう)も流されたと。

 婆(ばあ)さんは、逃げ遅(おく)れて屋根に登ったが、だれも助けることはできなかったんだど。手を振って助けを求めていだげんじょ、あれよあれよといううちに遠くへ流されて見えなくなってしまっただど。

 南の方は、逆巻(さかま)く濁流(だくりゅう)にのまれ、中島(なかじま)の森もすっかり無(な)くなってしまたど。おっかねえ洪水(こうずい)だったが、幾日(いくにち)か経(た)って泥水(どろみず)が引きやれやれと思った時、お稲荷様(いなりさま)もなくなり、あたり一面石川原(いしがわら)になったんだど。

 この洪水(こうずい)のことを、少しずつ忘れかけた頃(ころ)のある日の夕暮れに、小川某(なにがし)という人が、若松からの帰りに、大川の板橋(いたばし)を渡(わた)んべとしたら、何だか、急に体が重くなったんだど。

 「あれ、なんだべ。」

と(注1)いぶかり自らやっとのことで向い側(がわ)の蟹川土手(かにがわどて)にたどり着いただど。


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