北会津の昔ばなしと伝説 -019/238page

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と、家中の相談(そうだん)の結果、この松林(まつばやし)のところに小さな祠(ほこら)を建ててねんごろにお祀(まつ)りしただど。

 時はうつってな、この事があってからどの位歳月(さいげつ)が経(た)ったかわがんねげんじょ。

今度は、堤防決壊(ていぼうけっかい)でな、洪水(こうずい)になってな、二日町(ふつかまち)から蟹川(かにがわ)集落一帯のほとんどの家がな、床(ゆか)のところまで水がきていっぺい被害を受けただど。

んだげんじょ、なかっつぁま稲荷(いなり)だけが泥水(どろみず)に流さんにゃがっただど。

それ以来、なかっつぁま稲荷(いなり)は、村人から聖地(せいち)のように思わっち、村人の信仰(しんこう)を集めることになっただど。

注1・・・疑わしい、不審だ。

挿絵 なかっつぁまいなりとタケノお婆さん


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