北会津の昔ばなしと伝説 -033/238page

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10 権五郎武勇伝(ごんごろうぶゆうでん)

 むかしむかしあったどよ。

 陸奥(むつ)の国 清原武則(きよはらたけのり)、武衡(たけひら)、家衡(いえひら)が、源 頼義(みなもとのよりよし)と共に、安部頼時(あべのよりとき)、貞任(さだとう)、宗任(むねとう)、親子を討(う)ち(前九年の役)その領地(りょうち)を併合して、強大な勢力(せいりょく)を持つようになった清原(きよはら)氏を、都(みやこ)の将軍は大変(たいへん)じゃまになっただど。

 そこで、源 頼義(みなもとのよりよし)の子、義家(よしいえ)を鎮守府将軍(ちんしゅふしょうぐん)として陸奥(むつ)の国に派遣(はけん)させ、藤原清衡(ふじわらのきよひら)の助けを借りて、清原(きよはら)氏を平定(へいてい)したんだど (後三年の役)。

 その時、義家(よしいえ)に従って来た鎌倉武士団(かまくらぶしだん)の中に、鎌倉権五郎景正(かまくらごんごろうかげまさ)という若武者(わかむしゃ)がいたんだど。 

 時に寛治(かんじ)元年12月、北国は真冬で関東武士(かんとうぶし)の鎌倉党(かまくらとう)は大変苦戦(くせん)をしいられたんだど。

 川原(かわら)には霧(きり)が立ち込め、ススキ原、一面に生(お)い茂(しげ)り、前方(ぜんぽう)の見分けもできない時に、突(とつ)


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