北会津の昔ばなしと伝説 -076/238page

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 今の大川は、応永(おうえい)の大洪水(だいこうずい)[応永(おうえい)二十六年「1419」]のときから、この白髭(しらひげ)の水までの117年の間は、南会津地方より流れてきて、本郷村(ほんごうむら)[現在の会津本郷町(あいづほんごうまち)]の岩崎山の麓(ふもと)から西に、橋爪村(はしづめむら)よりは北西に、更に安田村(やすだむら)から北に流れて、坂下村(ばんげむら)[現在の会津坂下町(あいづばんげまち)]を経(へ)て日橋川(にっぱしがわ)と合流して阿賀川(あががわ)となっていたんだど。

 ところが、この白髭(しらひげ)の水によって、応永(おうえい)二十六年以前の昔の河道(こうどう)に戻り、本郷村(ほんごうむら)より北に流れ、蟹川村(かにかわむら)、佐野村(さのむら)を通る現在の大川となったと言われてんだど。

 川の流れが変わったために、岩崎山(いわさきやま)の麓(ふもと)から橋爪村(はしづめむら)までの旧河川敷(きゅうかせんじき)は陸地(りくち)となり、川幅(かわはば)が狭(せま)くなった川の流域はもとより陸地となった旧河川敷にはたくさんの新田が開発され、多くの集落ができたと言われてんだど。


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