北会津の昔ばなしと伝説 -122/238page

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この話を聞いて顔にこそ出さないが心中激怒(しんちゅうげきど)したのは若年の蒲生秀行(がもうひでゆき)。「憎(に)っくき百姓どうしてくれるか思い知れ。」と。帰邸の後すぐさま早飛脚(はやびきゃく)を国もとに立てて、関所破りの、白雀国外持出(しろすずめこくがいもちだ)し犯人を探索(たんさく)させた。町や村に立てた高札は忽(たちま)ち効果があって某月某日(ぼうつきぼうじつ)早朝、烏籠(とりかご)を風呂敷(ふろしき)に包んで大川を越した犯人を見た者が、訴え出てあの男は捕まって見せしめのため、近郷近在(きんごうきんぎい)引き廻(まわ)しの上、曾って白雀(しろすずめ)を捕えた大川の中洲(なかす)で、釜ゆでの刑に処せられ、母子は阿呆払(あほうばら)いということで死罪(しざい)は免れたが、財産や一切のものを身に着けることが出来ず、他国に流浪(るろう)しなければならなかった。勿論(むろん)そう言う罪人を出した村の肝煎(きもいり)五人組の面々も、吃度叱(しか)り置くということで、暫(しばら)く謹慎(きんしん)させられた。

昭和四十二年発行『北会津村誌』から転載


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