北会津の昔ばなしと伝説 -183/238page

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46 玉光堂(ぎょっこうどう)の腰(こし)かけの松(まつ)

 元亀年中(1570〜1572)、葦名盛氏が、会津本郷町の大川の西にある向羽黒山に、お城を築きました。そのとき、糟尾宗文字(かすおそうえ)という医師を連れて来て、住まわせました。そこを、それから宗文字(そうえん)というようになりました。弘化二年にあちこちに置いた休み石には、「宗文字町(そうえんまち)」と印されています。

 また、お弓新田と俗に言っている上荒井新田(かみあらいしんでん)の辺には、お弓隊を住まわせたところから、お弓新田というようになったといいます。

 槽尾宗文字かすおそうえ)が守り本尊(ほんぞん)の極楽地蔵尊(ごくらくじぞうそん)は、大同年中徳一大師(とくいちたいし)の作といい伝えられており、宗文字(そうえん)におまつりしてありました

 ところが、次郎水(じろうみず)といわれる大洪水が、寛永年中にあり、地蔵尊(じぞうそん)をまつってあったお堂


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