北会津の昔ばなしと伝説 -205/238page
51 小松獅子(こまつしし)と戊辰戦争(ぼしんせんそう)
明治戊辰(ぼしん)の会津戦争のときのことです。
日光街道は、今の121号国道ではなく、飯寺(にいでら)から上米塚(かみよねづか)を通り、本郷町から大内峠(おおうちとうげ)を通り、田島(たじま)へと行くのが日光街道でした。
わずか二十四歳の会津藩国家老山川大蔵(あいづはんくにがろうやまかわたいぞう)のひきいる軍勢は、日光街道の田島(たじま)方面で、敵軍の猛攻を守っておりました。
このとき、お城よりの伝令がとどきました。
「速刻(そっこく)、鶴ヶ城へ戻れ。」