北会津村誌 -000-21/534pag

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 晩秋より厳冬・早春と、幾度か北会津村の調査にでかけて、東に秀麗な磐梯山をまともに仰ぎ、はじめて解いてもらったことを、ほほえんでいるかのような、西の博士山や明神岳の残雪をながめ、さらに北の方下荒井の蓮華寺とも密接な関係のある、私も十三でお山をかけたことのある、まだ部厚い雪に蔽われた飯豊の霊峰を拝して、実に北会津村は、盆地の4周の山々を仰ぐ、稀な形勝の地であるのを思ってみた。恐らく数千年も前からの、この村の開拓者、耕作者たちも、疲れて腰をのばしては、これらの山々を仰ぎ、朝な夕な、手をあわせん思いであったろうと思う。盆地の底にも、やはり仰ぐ観光資源がめぐまれている郷土は大切なもの、よいものであると思う。

 必ずしも万能の学者でないから、この村誌も、村長や村人の意にそわない点も多かろうと思うが、今の私としては、時間と、身体のあき具合から、せいいっぱいの仕事であったことを諒せられたい。

 終わりに、いろいろと御世話になった編さん委員、区長、その他の皆々様に、心から、厚く御礼申上げる。このように、ささやかな郷土誌でも、そこに生活する人々にとっては、過去もあり、将来にもつながるものなので、何かの御役に立てていただけば幸いである。

昭和42年5月

武蔵野の亜細亜大学研究室にて      山 口 弥一郎

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