北会津村誌 -049/534pag
水・浸水の程度にとどまって、いっせいの西縁溜池列の決潰によって、満水した栗村堰の堤防をつき破り、全く水害から解放されていたかにみえた町の中、西部の大半を、夜中水に浮かしたという奇異な現象を生じた。この点からみると、若干水位を下げてきている大川に改修後の大堤防が、川敷共に構築され、宮川、鶴沼川の西縁の旧河床の新田開拓地域を除けば、輪中、即ち中州のような北会津村地域の大半は、古くから中州として、洪水地域にとりまかれながらも、早くから開発されて、洪水災害からとり残されたような安全性を、今後も確保できるように思われる。昭和36年9月27日、実はこの鶴沼川沿いの低地帯には大洪水を見舞っている。