北会津村誌 -050/534pag
ただやはり、最後まで防災を怠ってならないのは、旧鶴沼川流域、現在の濁川・宮川・鶴沼川の氾濫原は、会津盆地南半としては、最も低地帯の幅広い地域で、新田開発の新しい洪水常習地に相当するので、決して警戒は怠れないということになる。
以上は主な会津地方といっても、北会津村とそれをとりまく、盆地を中心とした過去の洪水実態記録であるが北会津村の土地の構成を理解する上にも、人々が住みつく以前から、中州にはいって、災害とたたかいながら開拓をすすめ、土地も造成されてきた基本に、この洪水氾濫と、扇状地堆積という特異性をもっているのであるから、これら過去の災害をよく検討してみる必要がある。さらには盆地地形の特性、開発過程などを組み入れて綜合的に洪水災害の裏にひそむ実態を摘出して、今後の災害防止の根本的対策をたててみることが、緊要であると思われる。
8、洪 水 災 害 年 表
次の洪水災害編年表は、会津旧事雑考(寛文12年ー1672-6月編了)、会津塔寺八幡宮長帳(昭和33年11月写真印刷刊行)、東京大学の理科年表、耶麻郡誌(大正8年3月)、家世実紀(会津簿記録)、阿賀川改修工事事務所保管その他の書類より資料を求めて、北会津村開発年表とは別に、特につくったものである。
会津盆地洪水災害編年表 年 度 西紀 月日 記 録 備考 推古 6 601 大雨数ヶ月にわたり、河川氾濫して、民苦しむこと限りなし。 会津に関しては不明