北会津村誌 -083/534page

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稀なことがわかる。

 盆地一般の開発が、山麓より後れていることは間違いないが、この広い、肥沃な盆地底の開発を、永く見棄て ておいただろうか、ということに疑問がないわけではない。中州に渡るには、明治時代どころか、大正、昭和に かけても、荒れ川の大川の河原などには橋はなく、幾筋かの流れに舟橋や、洪水の度毎に流失する板橋があって 苦労していたことは、中年以上の人々の記憶に、ありありと残っているほどである。大正中頃に耕地整理が行な われる前までは、どこの村端れにも、谷地や清水があった。しかも人々ほ、既に古くより住みついて、開拓し、 村づくりをしていた。

 この中州に何時頃から渡って開拓を始めたかが、漸く、今和泉、その他の地域に於ける土器、竃跡などの発掘 によって、明るみに出たことは有難いと思う。

二、中州開発初期の弥生文化遺跡

 昭和三十三年十二月末、現在、熱塩加納村日中に神官をしている下荒井生れの上田亀彦が、西麻生から今泉に 通じる道路で土器・石器の破片をみつけ、その後会津若松市図書館に勤めていた小滝利意が詳細に調査して「今 和泉―北会津村今和泉遺跡出土の弥生式土器―解説篇、遣物集成図篇」という貴重な報告を、昭和三十五年九 月、会津史談会から発行してくれた。これは後に同氏が会津史談会誌三十七号に「会津盆地に於ける縄文式晩期 より弥生式土器について」で、その時代の位置づけの考証をしている。麻生の新井田忠誠なども発掘物及び現地 を調査しており、その一部は小松公民館などにも保存されているので、現在、北会津村の最も古い文化遺産とし てみることができる。その後その他の部落からも発見されている。

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