北会津村誌 -116/534page
九年若松県を廃して福島県ができる。十二年に郡制布告、北会津村の名称の起りとなった北会津郡というのが はじめてあらわれる。旧橋爪組はこの際大沼郡に含まれることになった。この間明治十五年に福島県令になって赴任した三島通庸が、会津の開発は道路網の整備にあるとして、若松を 中心として、三方道路なるものを計画、会津全域から強制的に人足を割当てたため、自由民権運動が起り、あち こちに騒ぎができた。
三、町村制施行による部落名の変更
明治二十一年市町村制が公布されて、翌二十二年三月その実施になるが、この際市町村を文字共に改むべきは 改め、さらに明治八年旧村名を大字別にして新たな名称をつくっておいたものを単位として、地方自治の基礎づ くりを行なった。これで荒井村・館の内村・川南村が発足するわけであるが、それに含まれる部落名を一覧として掲げてみる。 これは既に明治六年の区別施行により、明治八年八月十二日付で大字名のできているのもある。その基礎調査と して、明治十九年に大字に含まれる戸数・人口を集計してみているが、それも参照にして加えておく。
明治二十二年村名・大字名・部落名一覧 村 名
大字部落名
明治八年合併以前の部落名
明治十九年戸数
明治十九年人口
荒 井 村 (明治二十二年四月一日七村合併)
和泉村 和泉村・台村の二村合併 三九
二一三
三伏村 宮の下村・館村・出尻村の三村合併 五七
二八六
和合村 安良田村・田村山村の二村合併 四三
二六三