北会津村誌 -123/534page

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有地二二反〇二七歩が三五反九〇二歩になり、その増歩地は四町五反三畝二一歩である。この増歩は明らかに一 割を越えるから、当時の谷地・河原などの散在していたことが、よくうかがわれる。その以前の地形を、まだま ぶたにうかべ得る古老も多い筈である。

二、農業構造改善事業着手の基点中荒井地区の実施

 1、実施計画 戦後の日本に於ける社会経済情勢の急激な変化により、政府は施策としても、近代的農業経済 の合理化をはかる基礎として、土地基盤の整備・開発を促進するため、農業構造改善事業を起し、土地改良法の 一部を改正して、政府補助事業としてこれを着手した。その見本的なものとして、先駆のように、北会津村は昭 和三十六年に農業構造改善事業計画の認定を受け、三十八年その第一次事業を中荒井地区で着手した。

 その内容を詳述することは容易でないが、中荒井村で参加農家戸数五一戸、作付面積八四・四ヘクタール、二 日町二〇戸、二一・三ヘクタール、今和泉一三戸、一五・五ヘクタール、東麻生九戸、七・八ヘクタール、下米 塚二六戸、二二・六ヘクタール、計二九戸で、一五一・六ヘクタールに対して実施計画をたてた。

 この事業は全国的にも一つの試作的のもので、北会津村としては、全く自然のつくった旧鶴沼川扇状地に対す る画期的な、自然に人間がいどむ大事業となるわけで、五億数千万円を費して、十ヵ年で完了しようとする、そ の着工の糸口を求めるようなものであった。

 どうして最初に中荒井地区を選んだかは、大正時代に北半には耕地整理が試みられたが、南半には殆ど及ばな かった。その中間地域で、水系からみても、村としての位置、地元の構造改善の熱意、即ち大圃場整備と農地の 集団化経営、近代化施設に、村人の同意を得られたためによるであろう。その対象面積は約一〇〇ヘクタール以上


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