北会津村誌 -139/534page
北会津村幹線水系分布図 とも奇妙な名称と思われるか知れない。下荒井という村は、もともと旧鶴沼川扇状地の末端にで きたので、北端に白山沼の湧水地をもち、域廓があり、本 町が南北に走って蓮華寺・熊野神社が南にあり、馬市の立 ったのも村南のようであるから、村の形態は南北に走って いたのが、もとの形であった。これが東西に走る立派な宿 駅のような形をなし、その大半には屋敷割りをした計画的 部落のようにさえみえる。このそもそもの起りが、どうや ら銀山街道に主因がある。
その銀山は柳津の南にある軽井沢で、永禄元年(一五五 八)村民の松本左文治なる者が発見、翌年開坑、天正三年 (一五七五)には、日々の製鍍が九〇〇斤、繁盛を極めた というから、開発は既に古い。葦名盛氏からその子盛興の 代であるが、その銀を城下に送ったと思うが、その経路ま ではわからない。 軽井沢銀山は、その後一旦休止して、元和二年(一六一 六)蒲生三代の忠郷の代に再興され、翌三年には毎月三〇 〜四〇貫の銀を産したという。この主な搬出路が、松坂・