北会津村誌 -148/534page

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第八章 農業協同組合の発達

一、協同組合の前身の無尽講

 講は民俗の項で詳述しているように、もともとは信仰の組識である。これが八日講、出し合い講になっては、 いくらか信仰の面影を残しながら、部落の春秋の農閑期の慰労会のような形に変ってきたもののようである。

 もう一つの発達は無尽講とか頼母子講のような、貧窮におちいった人というより、その家の共同救済或は貯金 組合、何かの共同購入組合への方向である。農産物を共同で出荷するという考え方は、藩政時代には、米による 現物の上納制度が苛酷なまでに強かったから、あまり発達していたようにはみえない。むしろ刻苦して貯蓄しよ うとする精神を、その頃の指導精神としても、農民心理としても滲透していたように思う。

 各部落に観音講とか伊勢講のような名称で、実はその講の集りに、いくらかの金銭を集めて貯金しておき、困 っている人にはそれを貸付けていくらかの利息をとり、年限を切って、まとまったお金を分配するなどのことが 行なわれていた。それを毎月一定の日の掛金制度にすると、もう講とはいい得なくなって、貯金組合のようにな る。現在も町場の、毎日の売上げのある人々が、日だめ銭とか、月がけ貯金などしているのはその類である。

 この形態が、相互援助になったのが無尽講で、相当まとまったお金を出し合って、年一回とか二回せりおとし その人は次回から利息をまとめて拠出してゆく。これらは、農業生産を積極的にすすめるとかでなく、消極的に 零細な貯金をしてゆくとか、借財のかさんだ者を救済する方法として、農村社会自身で考え出してきたものとも


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