北会津村誌 -149/534page

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思われるほどである。

 鈴淵に明治中頃以後かと思うが、観音講の名で、毎回五銭か十銭の積立てをしていたのがあったという。これ がやがて鈴淵婦人会になり、貯金は郵便局に代表名儀で積立てるという方法になったという。この指導者が金子 留吉であったと伝えている。これに類するものが各部落にあったことは、古老の記憶をたどるとでてくると思 う。

 明治政府になってから、農政に意を用いられ始めると、ヨーロッパなどの先進国の産業組合などの制度をとり 入れようとする風が起った。これを、先の無尽講なり、貯金組合に結びつけて、一つの組織体に育ててきたのが 現在の農業協同組合の発足であろうと思われるが、どうであろうか。

ニ、農業協同組合の発達と成果

 観音講を婦人会の手に移し、貯金組合に育てた真渡の金子留吉は、やがて荒井村役場の書記になり、助役に就 任、これを辞してからは耕地整理組合長をするなど、その間に、政府の指導もあって、産業組合の育成につとめ たと伝えている。

 明治三十三年政府は、ヨーロッパより学び、産業組合法を制定して、農民が貴重な生産生活をしていて、なお 苦境から浮び上れないのを救済しようとした。これが今の農業協同組合法第一条にある一貫した方針である。即 ち農民の協同組織の発展を促進して、農業生産力の増進と、農民の経済的・社会的地位の向上をはかり、あわせ て国民経済の発展を期そうとしている。

 この法律によって荒井村に「有限責任荒井信用購買販売組合」が設立されたのが大正十四年二月二十日と記し

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