北会津村誌 -156/534page
制度に改めた。これが戦時下に国民学校となり、終戦後、もとの名称に戻ったことは荒井・館の内村と同様であ る。実業補習学校の小学校に併置されていった事情も全く同様で、ここでは明治四十三年に発足し、昭和十年に川 南村青年学校となっている。その間大正十五年四月より青年訓練所ができて、その七月一日の開所式には、青年 の心身鍛練、国民の資質向上と共に国家的観念、尽忠奉公の精神の培養などを主目標とすることが示されている のをみると、当時の青年教育の国家的指向がよくわかる。
三、新制中学校の発足
1、荒館中学校 終戦後の学制改革によって、小学校・中学校・高等学校・大学の系列で、年限を六・三・三・ 四とすることが定められ、ここで高等小学校が廃され、新制中学校として、各市町村に設立される運びとなった。荒井・館の内村では昭和二十二年四月二十五日付で、荒井村館の内村学校組合立荒館中学校が創設された。これ は昭和二十八年四月の町村合併による荒館村の発足より六年さきがけての、荒館の名称起源ともみられる。校舎 ほ元国民学校の一部と青年学校の校舎を借りて当て、小学校内に新校舎を新築したのは二十五年十二月である。
昭和三十一年五月北会津村ができたが、両村は対等合併であるため、中学校は名実共にそのままにして、ただ 北会津村立というところだけを変えるにとどめた。2、川南中学校 荒館と同様に昭和二十二年四月二十五日川南村立川南中学校として創設、校舎は小学校に併 置の形をとり、独立校舎を小松の西に建築したのは翌二十三年十月である。扇状地の雑木林を開拓して独立校舎 を建てたため、いろいろな設備を附設する必要が起り、ほぼそれが成ろうとした時、北会津村の統合がなって、