北会津村誌 -165/534page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

 北会津村の産業経済の方向は、勿論水稲・雑穀・蔬菜類の耕種農業をもって発達してきたもので、俗にさえん ばと呼ばれているように、会津若松市を主とし、坂下・高田・本郷などを市場として、集約的農業を育成してき ている。村によっては、その扇状地の地形成因より畑作の方が卓越しているものもあった。

 明治中頃より扇状地末端の北半、清水の湧出する、開田の早かった地域では、水田作に重点をおき始め、耕地 整理事業を実施して、水田単作経常の傾向さえ示すものがあった。

 しかし上流の南半一、二〇〇町ほどは、扇央より扇頂に近く、表土も浅く、土地条件と水利系統の関係から、 耕地の区画整理も困難で、停止の状態にあった。下部に礫層をもつ雑木林が広がり、畑面積が一戸平均九〇アー ルも占め、麦、なたね、大豆、蔬菜を主とする経営形態をとってきた村が多かった。

 終戦後、食糧事情が好転し、価格の変動もあって、野菜作りが大きく伸びたが、米の政府保証による安定価格 には、年による変動も激しく、追いつけない状態も生じていた。その当面の問題は労力不足であった。農耕を馬 の畜力に依存して切りぬけ、一時は村で七〇〇頭にも達したことがある。ここへ小型発動機の生産、石油価格の 低廉などで、機械が盛んに導入されてきた。これが今後の農業の動向となって、基幹作物としてやはり米を主と し、関連作物として野菜をとりあげること、自立経営を目標とした協業組織体別を推進確立し、革新技術を積極 的に導入・浸透させることが必至となってきた。恐らく農業構造改善はこの方向をたどる村の動向として、大農 機具を導入して、機械化農業を発達させるための、大圃場整備にせまられて計画されたものと思われる。

 現在米の生産は農業所得の五五パーセントを占め、反収も平均四九五キログラムに達している。林業漁業をも たない当村としては、第一次産業の所得はあげて農業により、その大半を稲作に、他を野菜・雑穀の栽培に依存 している。野菜の作付面積は二九〇ヘクタール、生産量は九、〇七〇トンで、品目は二〇種にも及んでいる。

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は福島県北会津村誌編纂委員会に帰属します。
福島県北会津村誌編纂委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。