北会津村誌 -183/534page
中荒井村中央供養碑 部落の発達については、古老の伝承的なものが多く、年代・系統を明確にしにくい場合が多い。幸い旧中荒井組に関する限り、寛文五年書上げ写しをみつけたし、貞享二年の書上げも写本で残り、文化六年の新編会津風土記は刊行されているので、各部落別に再録して、部落記録の基礎にしたい。村名、その文字、村の区分、端村などが現在と異なっているものもある。大体風土記を基調にして、その順序に、現在でも了解できるように解説してみる。
付 寛文五年(一六六五)書上げ帳写し
中荒井村
一、若松の西北七里にあり、東西二町三十一間家居乱にして図何れの形とも難記当村建治の年暦井名中荒井村と云謂不詳。
一、家七十九軒、竈九十九、男二百五十人、女二百三人、馬五十一疋年々増減有
一、田三十一町二反八畝十三歩、内三町一反一畝土色黒真土、十一町九町土色白真土、六町八畝土色薄黒、十一町十三歩土色白くして砂交、土色並にして白し但三分は黒、七分白 三町三反八畝上の下、七町一反中の上、七町六反中の中、六町下の上、三町二反二畝下の中、三町九反八畝十三歩下の下、土の位並にして下の下。
一、畠二十六町五反四畝十五歩、内一町五反土色山鳥真土、但黒くして赤し、六町三反土色黒真土、十町二反五畝土色薄黒し、八町四反九畝十五歩土色白くして砂交、土色並にして黒し、但三分白七分黒、三町五反上の中、四町上の下、二町一反中の上、六町中の中、二町六反中の下、四町下の中、四町三反四畝十五歩下の下、土の色並にして中の下。