北会津村誌 -185/534page
原
一、北河原 村の東北六十間に有、南北一町二十二間、東西四十三間、此地に廟所あり、草を苅に便よし。
一、小林河原 村の東南六十間に有、南北一町十二間、東西二十八間、草を苅に便よし。
一、御伊勢河原 村の東南四十間にあり、南北四十間、東西三十五間砂河原。
一、関根河原 村の南二町五十四間に有、南北三町三十四間、東西三十八間草を苅に便よし。
一、宮在家河原 村の西北二町二十四間に有。東西一町七間、南北三十三間草を苅に便よし。
一、げんちゃぅ河原 村の南四町二十二間にあり、南北一町二間、東西二十一間、松木少あり、草を苅に便よし。
一、ごぜん河原 村の南二町四十二間に有、南北三十五間、東西九間草を苅に便よし、側に狐穴有年により子を産。
右の原に菜草有、香□、鬼□子、茜根、車前草、益母草、活蓬、枸杞、茨菰、麦門冬、天門冬、忍冬、羊附来、剏、五加、牛膝。
一、村より辰の方四町十九間に壇有四つ、二葉松有四本、伝云六十四、五年以前逆修念仏庚申待のために築之、名て四壇と云。
沼
一、をん子いどろ沼(註おんぎいむ沼か)は村の南一町半に有、周り四十間。
堰
一、小俣川は村の東五十四間に有、幅七間、源は村の東南十里上、向羽黒山の麓大川より出る。名けて思い堀と云、西北へ流れて宗印町村、上米塚新田、小松村、二堂村、柏原村を経て下米塚村に至て同郡荒川堰と合うに水合して北へ流れて、中荒井村に至て小俣川と云、又西北に流て小出村を過て下荒井村に至て小出川と名く。又西北に流れて中里村を経て鈴淵村に至て瀧川と云、是より西へ流れて上海津村に至て渋川と名く。又西北に流れて中海津村を経て福原新田村下にて鶴沼川に入る。向羽黒山の水口より村数二十五箇村、高八千八百石余の民家井田の用水となる。此堰は毎年三、四月に至て石土手五十間、或は六十間に普請す。此