北会津村誌 -186/534page

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川へ七月中間より鮎下る。寛永年中大守吏部の時、此川に簗を打、因之役銀八匁四粉八厘当村より出す。今の世も又先例のごとし。然所に承応二癸巳年同郡大石村より此簗を請く。因之中荒井村の役銀免訴有て川下に簗を賜る。此処の者今に簗を打て鱒、大雑喉、鮎、鯰をとる。
一、村野原に在所の鳥獣は雀、青鷺、五位鷺、狐。
一、下米塚村、二日町村、東麻生村、今泉村、寺堀村、鷺林村、宮袋村、寒川村、安田村、境野村、寺崎村、法用寺村より銭四貫八百文を取て船に乗する。
一、代一貫二百八十文を出し、逆瀬川山に入て薪を伐る。
貞享二年(一六八五年)の書上帳
 会津郡中荒井村 七里
一、鎮守諏訪大明神祭礼七月廿七日下荒井社家祭。
 相殿 当村感応、稲荷三、白籏八幡、羽黒六所、熊野、二日町、雀明神、太神宮、稲荷
一、稲荷祭礼日九月九日、郷頭次郎兵衛屋敷に、古来より崇置、服部安休老は□末社に付、社家下荒井作太夫祭之。
一、菩堤所真言宗求法山千葉寺、高五石九斗七升七合村弁。
一、漆役木数二百五十四本半分有、蝋漆上納而不足は年代金。
一、軽井沢半郷上平山の御役金二分銀十二匁、当村直々上納而、雑木ばいきり、柴草を取、入合の村赤留、八木沢当村三ヶ村。
一、堰、村の東南十四里上、向羽黒山の麓に而長七、八十間根直四、五間の石遠手(註、堰堤の当字)を取、河原壱丁余、新河を堀、亦長二□間。根直四、五間の石遠手取、是を本関と云、両関号て岩崎堰と云、此水の入口思堀と号く、大川を分け取所の養水と成数村の養水又は里民人々湿し当村に至て、小俣川と云、此川古来梁有、古は役金八匁四分八厘上納而下る鮎、上る鱒、鮭を取、中頃役銀御免有、御梁と成、土用中より御普請有、山御奉行所より奉行人来而下知す。用材人足入次第に仕梁の次第、鍛練す、

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