北会津村誌 -195/534page

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あるが、この村には昔から寺院がなく、大半の十三戸が小出の宝光院の檀家、他の六戸が中荒井の千葉寺の檀家ということになっている。さらに新住者の二戸は神道で、他の一戸が千葉寺とそれぞれ一戸ずつ加わっている。
 古い移入者としては文政五年(一八二二)会津藩の家中より来た牧原家がある。新田治助宅が廃絶家になったので、当時五十石の郡奉行を勤めていた牧原只七直永の三男牧原源兵ヱ直矢が、城下の小田垣二番町より医者として移ってきた。現在までは源八、源太を経て、荒舘、川南統合初代村長の源一郎まで四代になる。医師の傍、寺小屋を開いて塾教育を施し、金融、又大地主として、当主源一郎は貴族院議員に就いたことがあり、当地方の指導的役割を果してきた家柄である。
寛文五年書上げ
 二日町
一、村 若松の西北六里にあり、東西一町二間、南北六十一間、家居混乱にして図何の形とも難記、当村の始井村名の調年暦ともに詳かならず。
一、家十軒、竃十、男三十三人、女二十五人、馬七疋、年々増減あり。
一、端村下二日町、本村の東北六十間にあり、南北一町一間、東西五十五間、家居乱にして住す。
一、家十一軒、竈十一、男二十九人、女二十三人、馬六疋、年々増減あり。
一、田十町六反一畝六歩、内一町三反土色白真土、四町六反土色白にして砂交、四町七反一畝六歩土色白にして砂交、土色並にして白、一町八反中の上、二町五反中の中、二町五反下の上、二町九反下の中、九反一畝六歩下の下、土の位並にして下の上。
一、畠十町二反五畝二歩、内九反土色黒真土、一町一反土色白真土、三町二反土色白にして砂交、五町五畝二歩土色薄黒、土色並にして黒し、但三分白七分黒一町一反上の下、一町中の上、二町三反中の中、二町二反中の下、二町六反下の上、一町五畝二歩下の下、土の位並にして中の下。

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