北会津村誌 -199/534page
東麻生のばんもち石(岩崎山下の大川からあげた長さ63p、横26p位の花崗岩、6斗目位あるという) 村の中央には、もと地蔵堂と観音堂があった。寺堀の古老に聞くと、この御堂はもと寺堀の毘沙門堂の二階建ての下部を移して建てたもので、二階の部分が現在の寺堀の毘沙門堂であるともいっている。単なる伝承か、何かのいきさつがあったのか明らかでない。昭和三十三年御尊体もろとも焼け果ててから、この境内は共同集荷場になっている。
かたわらに天明二年(一七八二)の八月建てた供養塔や、文化年間の飯豊山の板碑などがあって、寺院の境内の名残を止めている。壇那寺は鷺林西福寺であるが、この由来はわからない。
寛文五年の戸数は二四軒、竈二六とある。文化六年の風土記には一四軒とあるから、激減している。現在もその一四戸を古くからの家と考えている。現在やや増加して二〇戸になっているが、廃家の屋敷跡などがうかがわれる。
寛文五年書上げ
東麻生村
一、若松の西行程七里に有、東西一町二間、南北三十二間、家居□の如し東麻生村と云謂並当邑の始年号不知。
一、家二十四軒、竈二十六、男六十二人、女十五人、馬八疋年々増減有。
一、田十四町五畝十六歩、内二町七反四畝土色白真土、十一町三反一畝十六歩土色白して砂交、土色並にして白、一町八反中の上、四町六反中の中四町五反下の上、三町一反五畝十六歩下の下、土の位並にして中の下。